インタビュー
テクスケムグループ 会長 小西 史彦氏 / アミタグループ 会長 熊野 英介課題山積の時代に商機を掴み、イノベーションのジレンマから脱却するには。
50年前、24歳で単身マレーシアに渡り、徒手空拳の中から東南アジア有数のコングロマリット「テクスケムグループ」を育てあげた日本人事業家・小西史彦氏。多岐に渡る事業を起し、成功に導いてきた小西氏に、23歳から40年に渡り、資源循環の事業家としてのキャリアを歩んできたアミタグループ会長の熊野がインタビューする形で対談しました。
共に事業家として大きな時代の流れの中を生きてきた二人が語り合ったテーマは二つ。一つは、課題の中でビジネスチャンスをつかむ際の「時代の目利き」について。もう一つは、企業の経営者の多くが新規事業に踏み出す際に感じている「イノベーションのジレンマ」からの脱却についてです。
(写真:テクスケムグループ創業者小西氏(右)とアミタ会長 熊野(左)。アミタ株式会社にて)
テクスケム・グループ...マレーシアの大手コングロマリット。日本人企業家・小西史彦氏が、1973年、マレーシア・ペナン州で化学品専門商社テクスケム社を起業。以降、45年以上に渡り、製造業・貿易業・飲食・水産加工業などを営み、マレーシア屈指の大企業となる。グループ傘下には現在、約45社の企業が存在しており、東南アジア全域に拠点を設ける。 |
時代の目利きについて(新規市場開拓。ブルーオーシャンへの船出)
熊野:まず「時代の目利き」についてですが、長引く経済停滞の中で日本の政治や経済が方向性を見失い、どうしたらいいのか分からない経営者がたくさんいます。国も若者も方向性を見失っている。日本は課題先進国と言われていて、少子高齢化、環境問題、孤独問題など多くの課題を抱えています。世界もSDGsの17目標を目指しているという背景があります。徒手空拳でマレーシアに渡り、50年かけて現在のコングロマリットを育てあげた小西会長は、今の時代の流れをどのように見ているのでしょうか。
小西氏:長年海外に居住して外から日本を眺めると、岡目八目でよく見えるんですよ(笑)。諸外国の視点から見た日本の情報も入ってきますしね。しかし80年代の終わりに日本でバブルが弾けたときは、これからどうなるんだという思いにもなりました。といいますのは、私がやってきた事業は、テクノロジーもビジネスモデルも、ほとんどが日本からの導入なんですよ。私のような凡人が向こうでやっていくためには将来を予測しなくちゃいけないのですが、そんな能力は私にはありません。結局、この50年間で学んだことは、「日本で起こったことは必ずASEANでも起きる」ということです。今後の経済の方向性とか、成功するビジネス手法などは、日本を見ていると予測できるんですね。これは私にとって非常に有利な条件でした。日本で起こったことから、「あ、ASEANも今後はああいう風になるんだ」って予測できる。で、大概その通りになるんですよ。これが非常に面白いですね。
熊野:若くして海外雄飛した事業家ならではのご視点ですね。その一方で、戦後の日本国内での時代の流れについてはどのように思われますか。とくに政治や経済面で。
小西氏:日本は軍国主義が起こした戦争で破滅してから目覚ましい勢いで復興しましたね。その根源は戦後の民主主義だと思います。財閥解体や農地解放もGHQが進めました。これで全国民が参加する経済になった。それで復興できたんだと思います。
その後にベビーブームが起き、生産人口が一気に増加して経済が活性化する「人口ボーナス」が起きた。でも人口ボーナスが終われば経済は必ず停滞し、さらには衰退していきます。だから中国経済の大減速も起こるべくして起きていますね。2015年に生産年齢人口のピークを迎え、今は減少に転じています。しかも一人っ子政策が人口構成をいびつにしてしまったので、ものすごい速度で高齢化が進むわけです。
では、今後どうすればいいのか。停滞から衰退に至る道を食い止めるのは、政治しかないと思いますね。例えば先端技術の振興やイノベーション、外国人労働者の受け入れと居住権の付与、その子どもへの市民権の付与を行っていくことです。私は、アメリカは成熟した大国であるにも関わらず成長を続けているのは、何千万というレベルで移民がいるからだと思います。だから現状でも経済成長率が3.5%アップするなんていうことができる。それが判ってない政治家が移民を排除しようとしていますが、もしその通りにしたら間違いなく経済が停滞し、衰退していきますよ。
熊野:おっしゃるように人口動態は、未来の経済動向の予測に非常に密接に関っていますね。日本においては超高齢化社会を迎える中で、どうやって生産人口を確保できるかが重要な課題です。一方でマレーシアは今でこそ成長期だけれど、2100年以降で人口が増えるのはASEANでもインドネシアぐらい。2030年には中国は世界一の老齢大国になる。誰も見たことのない事態が来るわけです。
身近にケーススタディがない時代をどう目利きするかですが、私が一つのヒントとして考えているのは、江戸時代の出来事です。江戸初期には1,600万ぐらいだった人口が、農地開拓と食糧増産を経た100年後の江戸中期には倍の3,200万にまで増えている。まさに人口ボーナスで、江戸前期はバブル経済の中で華やかな元禄文化も生まれました。しかし江戸中期以降は新たに開発できる農地もなくなり、幕末まで人口は横ばいのまま130年が経過しています。何度かの飢饉で、むしろ減ることもありました。
しかし、この長い人口低迷の期間にも関わらず、江戸中期以降のGDPは上がっていたそうです。なぜかというと、購買層が増えない中で顧客を確保するために、「質で勝負する」ビジネスモデルが展開されたからです。商人たちが工夫を重ねて様々な看板商品を売り出し、「価格競争ではなく価値競争」のビジネスを展開したわけですね。
そこで重要となってくるのが「顧客との関係性」です。不特定多数の顧客ではなく、「御用聞き」で特定の顧客のニーズを把握してサービスを提供するビジネスですから。つまり経済効率性ではなく、人間関係性の中でGDPが向上していったのが江戸中期以降の経済なんです。そこに特有の文化が花開いたわけです。
私は、そうしたビジネスモデルを現代に生み出せないかと考えています。共に人口が低迷した江戸時代と現代日本を融合させたビジネスモデルですね。実は、弊社が南三陸町で挑戦している循環型社会の構築、つまり食料とエネルギー、資源が人間関係性の中で循環していく中でのビジネスモデルも、これを目指しているんです。
小西氏:それはね、まさにイノベーションですよ。そういうイノベーションの推進を国が政策として打ち出せたら、人口ボーナスが終わった後の経済停滞から脱却できると思います。でも、政治は思うようには進まない。御社は実践されていると思いますが、全ての企業が実施しているわけではない。多くの企業は人口低迷と共に衰退していき、どこかで経営リスクが来たらドーンと落ちてなくなるでしょうね。
「イノベーションのジレンマ」からの脱却について
熊野:もう一つのテーマは、大企業の経営者の多くが感じている「イノベーションのジレンマ」からの脱却についてです。新しい事業に挑戦しなくてはならないが、市場モデルがない新しい事業への賛同は得られにくい。役員をはじめとするステークホルダーの反対が多いとビジネスチャンスを見過ごしてしまいます。これがイノベーションのジレンマですが、新たなビジネスモデルで潜在的な価値を顕在化させようとするときは、どうやってそのジレンマを突破するのか。適正な経営資源の投入をどうするか。
御社では多岐に渡る業態のグループ企業を50社ほども展開されていますが、「いくら日本で成功しているビジネスモデルだから」と言っても、「マレーシアではできないよ」という他の役員などの声もあったかと思います。そういう時にどのように舵を切って来られたのでしょうか。
小西氏:そういうときに私が役員や社員に言う言葉は、「やってみなくちゃわかんないよ」ですね(笑)。いま弊社のグループ傘下には50社ほどがありますが、その一方で30社ぐらいを売却や自主清算してきました。振り返れば、軌道に乗ると思っても駄目だった事業もある一方で、駄目だろうと思っていた事業が、蓋を開けたら大成功したりもします。回転寿司チェーン店の「すし金」を始める時も、「寿司なんかマレーシアで誰が食うんだ!」と、7人の役員の中で私を除く6人全員が反対でした(笑)。しかし、他の事業で大きな恩があった日本の大手小売店グループ企業に頼まれた義理があったので、せめて6ヶ月だけやらせてほしいと訴えました。6ヶ月で駄目だったら、プラス3ヶ月で精算する。合計9ヶ月の事業でいくらかかるの?と聞いたら、1億円です、という返事。取締役会で「1億ぐらい出してよ」とお願いしたら、他の役員も渋々認めてくれたわけです。ところが始めたらドーン!という大成功で、23年で134店舗、今年の年末には146店舗になります。私自身も上手くいくわけがないと思っていたんですけどね(笑)。
(写真:家族連れで賑わう「すし金」店内の様子 テクスケムグループ提供)
熊野:それでも撤退条件の設定とプロトタイプの設定をしていたわけですね。リスクとチャンスの均衡点の判断を瞬時にしていたわけですから、すごいなあ、と思いますね。
小西氏:その他の例でいうと、70年代後半に日本の大手小売店企業がシンガポールに進出してきた時のことですね。靴屋の店舗がなかったので日本の靴チェーン店を紹介し、弊社と合弁会社を作ったんです。もちろんフィージビリスタディをした上で、面白そうだから始めたんですが、これが大当たりでした。靴の展示や販売の形態がシンガポールで非常にイノベーティブだったんですね。こんなに儲かるの? と思うぐらいの売上があって、それが現在のグループ事業に展開する際の資金になったわけです。
熊野:勝てるゾーンを設定して、そこにチャンスを見つけ、勝負をかけたわけですね。今の日本ではそういうことができる経営者が少ないと思いますね。
小西氏:私はダボハゼで何にでも食いつくんですよ(笑)。反社会的でさえなければ垣根はないと思っています。それでも創業して20年でマレーシア証券取引所に株式上場するときには、当時何十社もあった会社を5つの事業部にまとめ、その中に入らない会社は手放しました。
熊野:集中と選択をしたわけですね。ところで株式上場の話が出ましたが、日本の企業は本来、顧客や地域関係者、社員などによるステークホルダー経営だったものが、次第に株主中心のストックホルダー経営になり、新規事業の可能性の目利きもしないうちに「儲からないから手離す」、という風潮が強くなっています。経営者のメンタリティーも弱くなっていて、模倣不能性が見つかる前に事業を手離してしまうようになってしまっていると思います。その辺はどう思われますか?
小西氏:日本の企業は株式上場になると、いわゆる「サラリーマン社長」が増えてくるように思えますね。そういう人たちはエンタープライジング(野心的)じゃない。一方で上場してもエンタープライジングな企業はどんどん伸びますが、そうでない企業は経営層が挑戦することをしない。好奇心や探究心が欠けているんです。役員はみんな一流大学を出た優秀な人ばかりなのにね。これは日本の教育システムが問題だと思っています。学問を学ぶ力を付けさせるのではなく、受験術しか教えない。そうすると効率よく得点を稼ぐことしか学ばない人間ができてしまう。それではイノベーティブな人間は育たないですね。
熊野:教育は非常に重要ですね。日本の14歳から35歳の若者の死因のトップが自殺なんです。この背景には、教育をはじめとする社会課題を総合的に解決する術を政府が持っていないからだと思います。だからこそ、弊社は社会課題を解決する手段としての「関係性経済」の構築を目指しています。東日本大震災の後、南三陸町やパラオで循環型社会を構築するための事業に着手していますが、先にも申し上げた通り、単純な資源循環ではなく、「人間の関係性の中で成立する経済社会」を作りたいと思っています。
(図:地域資源事業の概要(アミタ株式会社))
日本は高度成長を成し遂げた一方で、無関心や孤独の中で多くの若者が死を選ぶ社会を作ってしまった。そうした社会状況を整え、若者が希望を持てる社会を作りたいという探究心をもつ企業も存在しますが、その事業化をする際には「市場がどれだけあるのか」と言われるように、挑戦に対するイノベーションのジレンマを常に抱えています。
小西氏:どんなイノベーションでもコマーシャリー・バイアブル(commercially viable:商業的合理性)でないと駄目だと思いますね。そこにジレンマがある。しかし、そこは我慢するしかないと思います。御社が南三陸町でやられているような有機物の資源循環事業をマレーシアで展開する構想を、御社のマレーシア駐在のスタッフから伺いました。私は、大変立派なことだからやってください、と申し上げました。社会的な意義があるから応援したいとも。ただ、そうした事業をサステナブルにするには、必ずコマーシャリー・バイアブルでなければ絶対に持続できない。そこをよく考えてほしいと申しました。資源循環事業について政府に要望を出すこともできるかもしれませんが、ビジネスでは決して公的な補助金を当てにしないことです。補助金なんてものは経済事情や政権が変われば途中で出なくなることもあります。だから最初から依存しないことです。
それから、マレーシアでは資源回収をするにしても、全く分別しないで黒いごみ袋に全部入れて、ポーンと埋め立てるような状況です。あれじゃ資源回収なんかできません。まずはそこからですね。日本で実現しているような分別回収の文化を一般大衆の中に育てるところからしないといけません。そこを乗り越えるビジネスモデルがあればと思います。
弊社のイノベーション事業としては、バイオプラスチックのTEXaがマレーシアの農業廃棄物の問題にチャレンジしています。マレーシアでは植民地時代のゴム農園を作物転換したパーム農園を中心に、作付面積を広げずに生産効率を上げることで持続可能なパーム油脂の生産が目指されています。
(図:TEXaの概要(テクスケム・ポリマー社 提供))
しかし一番大きな課題が膨大な農業廃棄物なんですね。TEXaは、この農業廃棄物を有用資源化するものです。開発に10年かけ、相当の予算をつぎ込んでいるんですよ。51%がバイオベース素材で、加工性状は従来のプラスチックと同じものです。そうすると(各地で規制が進みつつある)プラスチックの扱いではなくなるんですよ。これは非常に大きなイノベーションになると期待しています。
そうなるまでの我慢を重ねていますが、役員は皆、私の顔を見ているんですね(笑)。うちのCEOは50代の華僑でエンタープライズできる資質はあるし、TEXaを事業ベースに育てたいという志もある。それでも毎年の予算委員会の場で、私に「来年も(多額の開発費をかけて)やりますか? 」と聞いてくるんです。それだけの予算を組むことを自分だけでは決められないんですね。だから私に聞くんですよ。私は、「おお、やろうよ!」と、できるだけ朗らかに溌剌と答えるんです。でも心の中ではグサッときますねぇ(笑)。
熊野:イノベーションにはコマーシャリー・バイアブルを見据えた経営判断が不可欠ということですね。
私は、イノベーションのジレンマを解決するためには、売り上げや拡大成長という「旧来の企業目的」を手段に置き換え、「新しい企業目的」を据えることが必要だと考えています。企業目的を、「社会課題を解決し、持続性を高める」という新たなものに定め、売り上げや成長はその達成のための手段に転換するという考えです。その実現には、社内外の共感者を募ってビジョンを共有出来る起業家やノウハウをもつ方々と連携し、オープンリソースでプロトタイプを作ってしまう手法が有効だと思います。これをやりませんか、というプロトタイプがあれば、上位概念の説明も省ける。そこにどう経営資源を投下するか、という経営判断は、何もないところから始めるよりはるかにスピーディーです。
経営者の重要な仕事が、判断することですね。誤解を恐れずに言えば、そのようなイノベーションを起こす時に、皆が諸手で賛成するようなものでは意味がない。それは旧来の企業目的や、過去の成功体験に基づくものだからです。真のイノベーションを為すには、次の時代を見据えた経営者が、時には孤独な決断をしなければならない局面もあると思います。もちろんそれは私利私欲に基づくものでは絶対に駄目で、経営者には、関係者が自分事として意欲的に事業参画するような説得力や、従業員が自らの人生を打ち込められるだけの哲学、情熱、思想を掲げ、社内外から高い共感を獲得する能力が求められるのだと思います。
先ほど小西会長から、日本企業は上場するとサラリーマン社長が増え、エンタープライジング(野心的)じゃなくなるというお話がありましたが、まさにそれを乗り越えた、ビジョンに対し野心的な哲学を持った経営者の誕生が今、求められているのだと思います。
本日は非常に示唆に富んだお話をいただけたと思います。最後に、今後の御社の事業の展望について伺えますか。
小西氏:上場の時に集約した5つの事業部門のうち、家庭用殺虫剤の部門を2016年に売却して4つにしました。これでギヤリング(負債比率)を0.2までに解消できました。今後は残りの4つの事業部門を充実して展開していきたいですね。その中にいま、"金食い虫"がいるんです(笑)。それが先ほどから話に出ているバイオベースプラスチックの事業部門です。パームなどの農業廃棄物を活用した新素材TEXaですね。半分が農業廃棄物ですから、原料は太陽と大気中のCO2です。この素材の価値が世の中の認識をいただけたら非常に大きなスケールでのビジネスになります。必ず世の中に普及させ、1,000億市場に育てたいと思っています。生産コスト削減の研究開発も進み、代表的な石油系プラスチック素材のポリスチレンより10%安く、ポリプロピレンとは同等レベルにまで近づいています。それで既存のプラスチックユーザーに「おーっ」と言われています。あともう少し安くできればドーンといけるでしょう。それが弊社のイノベーションです。こんなことはオーナーでなかったら出さないインベストメント(投資)でしょう。それにはやっぱりジレンマを感じながら、私の時代に耕作して、次の世代で花を開かせたいと思っています。
熊野:日本の製造業の経営者にイノベーションの力をいただけるお話をいただけたと思います。今日はどうもありがとうございました。
話し手プロフィール(執筆時点)
小西史彦(こにし ふみひこ)氏
テクスケムグループ
会長
1944年生まれ、24歳の時に単身マレーシアに渡り、73年に現テクスケム・リソーセズを起業。以降、製造業や商社、飲食業など約50社を成功に導き、国民的企業グループに育て上げる。2007年、マレーシアの経済発展に貢献したとして、国王から「タンスリ(民間では最高位の貴族の称号)」を授与される。著書に、「マレーシア大富豪の教え」(ダイヤモンド社)
熊野英介(くまの えいすけ)
アミタグループ
会長
1956年生まれ、40年以上にわたり環境ビジネスに携わり、社会課題の解決に取り組む。その活動は企業の廃棄物処理の計画・運用から環境コンサルティング、循環社会モデル事業まで多岐に渡る。93年より、アミタ株式会社、代表取締役社長に就任。著書に、「思考するカンパニー」(幻冬舎)
聞き手プロフィール(執筆時点)
本多 清(ほんだ きよし)
アミタ株式会社
環境戦略デザイングループ
環境ジャーナリスト(ペンネーム/多田実)を経て現職。自然再生事業、野生動物の保全等を専門とし、多数のコンサルティング等の実績を持つ。著書に『境界線上の動物たち』(小学館)、『魔法じゃないよ、アサザだよ』(合同出版)など。
貴社の環境戦略をともに持続可能なものへ!
アミタの支援サービス「The Sustainable Stage (TSS)」
アミタの支援サービス「The Sustainable Stage」では、廃棄物管理を始め、脱炭素にかかる施策(CDP質問書への回答、SBT、RE100への取組み・実践体制の構築、支援など)、SDGs、生物多様性、バイオマス発電など企業の持続可能性を環境面から支えるための支援を行っています。
おすすめ情報
お役立ち資料・セミナーアーカイブ一覧
- なぜESG経営への移行が求められているの?
- サーキュラーエコノミーの成功事例が知りたい
- 脱炭素移行における戦略策定時のポイントは?
- アミタのサービスを詳しく知りたい
アミタでは、上記のようなお悩みを解決するダウンロード
資料やセミナー動画をご用意しております。
是非、ご覧ください。