インタビュー
株式会社カネカ 新規事業開発部 福田 竜司氏、R&D企画部 藤木 哲也氏地球環境を救う夢のプラスチック素材|暮らしの中で形にするのはどの企業?
私たちの日々の暮らしを支えている様々なプラスチック素材。しかし今、「海洋プラスチックごみ問題」が人類存続における不可避の問題として急浮上している。このまま従来型プラスチックを使い続ければ海洋という地球環境が壊滅してしまうからだ。そこへ登場したのが「カネカ生分解ポリマーPHBH®(以後PHBH)」。日本初の「海洋生分解性の国際認証を獲得した100%植物由来のプラスチック素材」だ。微生物が植物性油脂を原料に生合成するPHBHの開発を手掛けてきた(株)カネカ新規事業開発部の福田 竜司氏と藤木 哲也氏に「夢のプラスチック素材」の展望と可能性を伺った。
(写真:カネカ新規事業開発部の福田 竜司氏(右)と、R&D企画部の藤木 哲也氏(左)。カネカ大阪本社にて)
海洋プラスチックごみは「人類存続」に係る課題
「よく誤解されがちなことですが、PHBHは"海に捨ててよいプラスチック"というわけではありません。間違って海に流れていっても環境や生物にとって安全な状態に生分解される、というものです。100%植物由来で、酸素が存在する条件下で生分解されればCO2と水になって大気に戻ります。そしてまた植物の光合成と微生物の活動を通じて生合成することができる。完全に再生可能な循環型資源であり、かつ海洋環境での生分解性にも優れているということが特長です。」
(図:カネカ生分解性ポリマーPHBHパンフレット(カネカより提供))
こう語るのは福田 竜司氏。今年に入ってから連日のように「海洋プラスチックごみ問題」が報道される状況となっているが、その背景にあるのが中国の廃プラスチック輸入禁止措置だ。多くの先進国から廃プラスチックを再生用資源として大量に輸入してきた中国が、再生加工の過程で流出する汚染物質の影響を理由に昨年(2017年)末から「生活由来の廃プラスチックの輸入禁止」に踏み切ったのである。多くの家庭系プラスチックごみの処理を中国への輸出に頼ってきた先進国(とくにイギリスは全量の半分を中国に輸出していた)は、このことで大混乱に陥った。イギリスに端を発した「使い捨てプラスチックの使用禁止施策」は、EUをはじめ、アメリカの一部都市(シアトルなど)にも及び、フィリピンでもポリ袋禁止条例が広がり始めている。
その中で急浮上してきたのが海洋プラスチックごみ問題だ。世界で年間3億トン以上(原料となる石油消費量の約6%に相当)も生産されるプラスチック類。その約3%が再利用や適切な処分をされることなく、海洋環境にプラスチックごみとして流出している。その結果、このままだと2050年には海洋プラスチックごみが10億トンにもなり、世界の海の魚族資源量(8億トン)を上回る規模になってしまう。
日本では、これまで海洋プラスチックごみ問題が大きく注目されることはなかった。そもそも家庭系プラスチックごみの多くがリサイクルや燃料等で適切に利用されているという一般認識があるため、「わずかに海に流れた程度のプラスチックごみが大問題になるの?」という疑問も抱かれがちだろう。しかしこの問題は、世界のプラスチック生産量のわずか3%分という、まさしく「ごく一部の不適切に廃棄されたプラごみ」によって引き起こされている。そして日本で生産される大量のプラスチック製品は、プラごみの分別回収やリサイクル等の再利用システムが十分に構築されていない途上国にも、容器類等として輸出されている。その一部が不適切に廃棄され、海洋プラスチックごみとなることは避けられないのだ。
海に流出したプラスチックごみは「マイクロプラスチック」という細かい粒子になりつつも、生分解されることなく数百年以上にも渡って漂い続ける。石油由来のプラスチックは難分解性で多くの化学物質を含んでおり、それを体内に取り込んでしまう海洋生物への影響は、以前から知られている「ビニール袋をクラゲと間違えて食べるウミガメ」の事例どころか、プランクトン類にまで及んでいる。動物プランクトンがマイクロプラスチックを植物プランクトンと間違えて食べてしまうのだ。食物連鎖の根底を支えるプランクトン類がプラスチックに汚染された結果、すべての海洋生物にプラスチック汚染が及んでしまっている。それは当然、海産物を食料にしている私たち人類にも及ぶことは避けられない。まさに「人類存続に係る課題」、それが海洋プラスチックごみ問題なのだ。
100%植物由来のPHBHが、生分解性プラスチックの認証を行っているVINÇOTTE(本部:ベルギー 現在はTUV AUSTRIAが認証事業を継承)より、海洋環境での生分解性認証「OK Biodegradable MARINE(以後OKBM認証)」を獲得したのは昨年11月。奇しくも中国が廃プラスチック輸入規制に踏み切る直前のことだった。
一般に「生分解性プラスチック」とされる素材も、その多くは一定の温度や土壌微生物がいるコンポスト環境での生分解性を前提としたものだ。つまり海洋環境での生分解性は期待できないのが現実である。それに対して100%植物由来、つまり再生可能資源で、かつ海洋環境でも高い生分解性が認められたPHBHは、気候変動と海洋プラスチックごみの双方の環境課題の解決に寄与しうるという点で、まさに「夢のプラスチック素材」といえる。
現在のターゲット市場はEU圏。日本のメーカーは?
「現状で想定している主な市場は、EU圏での食品の包装やレジ袋等の代替素材ですね。例えばフランスでは既に従来型のレジ袋は使用禁止ですが、野菜果物袋についてはホームコンポスト(家庭での堆肥化)可能で、かつ一定以上の比率で植物由来の原料からなる素材であれば使用できる制度を導入しています。現在は植物由来成分が40%以上であることが条件ですが、2020年には50%以上、2025年には60%以上と、次第に比率を高めて厳しくしていく制度です。こうした制度が他のEU圏の国々にも拡大しようとしています。この様な制度を満たすプラスチック製品を製造するEU圏のプラスチック成形加工メーカーに、ホームコンポスト可能で植物由来の原料としてPHBHを提供していこうというものです。新たにOKBM認証が取れたので、海洋資材などへの用途拡大にも取り組んでいきます。」
プラスチック規制が進むEU圏を最初のターゲットにするのは当然にしても、日本の各種メーカーも日用品や医薬品等をはじめ、多くの使い捨てプラスチック容器を含む製品を海外に輸出している。そうした国内メーカーへのPHBHの提供は、どのような展望や課題があるのだろうか。PHBHを生産する微生物(カプリアビダスという土壌菌の一種を遺伝子工学で改良したもの)の研究開発に長年取り組んできた藤木 哲也氏が語った。
「PHBHは、植物油脂を炭素源(餌)に、微生物の体内で生合成されます。従来の植物由来生分解性プラスチックに比べて優れているのは、軟質性の性状をもつことです。これまでの植物由来生分解性プラスチック(ポリ乳酸など)は硬質性で脆く、熱にも弱いため用途が限られていました。しかし、PHBHは柔軟性があって熱にも強いので、一般的なプラスチック容器類との代替性は十分にありますよ。」
PHBHはヒドロキシ酪酸(3HB)とヒドロキシヘキサン酸(3HH)という、2種類のモノマーが共重合した物質だ。双方のモノマーの含有比率を調整することが可能なので、任意の柔軟性や硬度の性状を獲得できる。それが、加工性や耐久性に優れた従来型プラスチックの代替素材としての大きな特長だ。
(写真:カネカPHBHの素材使用例。ポリ袋や液体の容器ボトル等にも幅広く利用ができる。)
PHBHを生産する微生物の改良も日進月歩で進んでいる。数年前まではココナッツオイルのように希少で高価な植物油脂(中鎖脂肪酸)でなければ特有の軟質性を得られなかったが、現在ではごく一般的な植物油脂(長鎖脂肪酸)からでも軟質性のPHBHを生産できる段階になっている。それでも従来型プラスチックよりも高生産コストになるが、カネカは来年(2019年末)に従来設備の5倍に相当する年間5,000トンのPHBH生産工場を稼働させる予定だ。さらには年間20,000トン規模の本格的な商業プラントの検討も始めており、スケールメリットによるコストダウンも大いに期待される。
ただし、プラスチックの容器や素材メーカーが従来の石油系プラスチックからPHBHに原料を置き換えていくうえでは、技術的な課題もあるそうだ。
「一番の課題は、従来型プラスチックに比べて金型から射出成形する際の固化に時間がかかることです。そのぶん単位時間辺りの生産性が落ちて製造コストがあがることになりますね。」
と福田氏。しかし、BtoCの製品メーカーであれば、最終製品価格におけるプラスチック容器の原価率などは微々たるもののはずだ。それどころか、従来型プラスチックから代替品への転換を進めなければ、製品そのものが輸出や販売することすらできなくなる時代が目前に迫っている。
「そのような技術的課題をどうやって解決するか、どこまでのコストアップなら製品原価として許容できるか、ということを弊社と一緒に試行錯誤していただける国内メーカーさんがあれば、ぜひとも協業させて頂きたいと思っていますよ。」
水環境を浄化するプラスチック素材へ
PHBHの生分解性機能は、目下は「廃棄された際の環境問題の解決策」として注目されている。つまり製品ライフサイクルの終末期における機能だ。しかし、生分解性とは即ち「微生物の餌になる」ことを意味する。その微生物が海洋をはじめとする水環境や土壌を浄化する重要な役割を担っていれば、PHBHは「環境を浄化するプラスチック素材」にもなり得る。その可能性の展望を福田氏に伺った。
「下水や産業排水の処理で重要な課題となるのが窒素除去です。有機物は好気性の細菌類によってアンモニアから亜硝酸へ、次いで硝酸の各イオンまで分解された後、最終段階で嫌気性の脱窒菌が窒素ガスに分解して大気へ放出するわけですが、この脱窒菌を活性化させるための電子供与体(餌)として、現在の排水処理施設では主にメタノールなどの有機物が使用されています。しかしメタノールは(有害物質なので)ふんだんには使えません。そこで、脱窒菌の電子供与体の代替物として、環境にも安全なPHBHを活用することを検討しています。」
下水や産業排水のみならず、農地での化学肥料の多用等による過剰な有機窒素がもたらす地下水や土壌、河川湖沼、そして海洋への汚染は、温暖化ガスや海洋プラスチック問題と並ぶ地球環境問題になっている。湖沼でのアオコ発生や、海洋での赤潮や青潮がもたらす被害も、過剰な有機窒素等の富栄養物質が水中に蓄積された結果だ。PHBHは嫌気環境で生分解される際に脱窒菌を活性化させ、水環境や土壌に蓄積した過剰な有機窒素分を無機化し、無害な窒素ガスとして大気中に放出する機能も期待できるわけだ。
―――しかも、PHBHは水より比重が重くて沈む特性がありますよね。沈んだ先の水底の地中では嫌気性の脱窒菌が待っているはず...。と、いうことは、ひょっとすると"捨てれば捨てるほど海や河川湖沼が浄化されるプラスチック"ということにもなったりするのではないでしょうか?
「いえ、それは言い過ぎですね(笑)。最初に申し上げた通り、PHBHは海や川に捨てていいプラスチックとして開発したものではありませんので。しかし、水環境や土壌の有機窒素を浄化しうる素材としての可能性があることは、間違いありませんよ。」
今年の6月にカナダで開催されたG7サミットで採択された「海洋プラスチック憲章」では、海洋プラスチックごみ問題に対する各国のプラスチック対策の内容が盛り込まれた。主な内容はプラスチックにおける3R施策(使用量の大幅な削減と、再利用率・リサイクル率の大幅な向上)だが、特筆されるべきなのが次の文言だ。
- 従来型プラスチック代替品の環境インパクトも考慮する。
- 海洋プラスチック(ごみ)の生成削減に向けた技術開発分野への投資を加速させる。
従来型プラスチックへの使用規制だけではなく、代替素材となる紙類や生分解性プラスチック等が廃棄された際の環境インパクトも考慮しつつ、海洋プラスチックごみを削減する技術開発を促進する方針が盛り込まれている。PHBHの実用化に向けた技術開発への投資は、まさに海洋プラスチック憲章の趣旨に沿ったものになることは間違いない。志ある国内メーカーが私たちの暮らしの中で「夢のプラスチック素材」を製品の形にしてくれる日が待ち望まれている。
話し手プロフィール(執筆時点)
株式会社カネカ 新規事業開発部
BDP市場開発グループ 幹部職
福田 竜司(ふくだ りゅうじ)氏
九州大学大学院工学研究科博士課程を1991年に修了し、鐘淵化学工業(現カネカ)入社。入社以来、主に研究開発を担当。変性ポリオレフィンや建材の研究を経て、1999年からイソブチレン系熱可塑エラストマーSIBSTERの研究開発を担当、生産のスケールアップや用途開発などを行い、開発品の販売の立ち上げを経験した。2015年からカネカ生分解性ポリマーPHBHの加工技術研究を担当し、2017年から現職。
株式会社カネカ R&D企画部
企画グループ兼新規事業開発部 BDPグループ 幹部職
藤木 哲也(ふじき てつや)氏
広島大学大学院工学研究科(工業化学専攻)を1986年修了し、鐘淵化学工業(現カネカ)入社。同社にて、生物化学研究所に配属されて以降、動物細胞あるいは微生物を用いた物質生産研究、免疫研究に従事。2001年から、生分解性樹脂生産菌の育種研究に従事し、生分解性樹脂に関する研究や開発業務を担当している。
聞き手プロフィール(執筆時点)
本多 清(ほんだ きよし)
アミタホールディングス株式会社
経営戦略グループ
環境ジャーナリスト(ペンネーム/多田実)を経て現職。自然再生事業、農林水産業の持続的展開、野生動物の保全等を専門とする。外来生物法の施行検討作業への参画や、CSR活動支援、生物多様性保全型農業、稀少生物の保全に関する調査・技術支援・コンサルティング等の実績を持つ。著書に『境界線上の動物たち』(小学館)、『魔法じゃないよ、アサザだよ』(合同出版)、『四万十川・歩いて下る』(築地書館)など。
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