コラム
ネイチャーポジティブの実践方法と企業の取り組み事例本多清のいまさら聞けない、「企業と生物多様性」
ネイチャーポジティブの概念の成り立ちと今に至るまでの背景に加えて、企業がネイチャーポジティブを実践するために重要なポイントを先進事例から解説します。
ネイチャーポジティブという概念の成り立ちと背景
「ネイチャーポジティブ(自然再興)」とは生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せることを意味します。企業のビジネスに位置づければ「事業が発展すればするほど自然が豊かになる状態」を表しています。
この新たな概念は近年急速に日本社会にも広まりつつありますが、その発端としては、鉱業・資源グループのリオ・ティント社(Rio Tint)が1996年より唱えた「ネット・ポジティブ・インパクト(Net Positive Impact)」が考えのルーツの1つとして挙げられます。ネット・ポジティブ・インパクトとは採鉱や精錬事業者による影響の最小化と生物多様性保全への貢献を通じ、会社の存在によって地域が生物多様性に関するベネフィットを享受できることを目指す取り組みです。同社が「事業と自然のポジティブな相互関係」を重視した戦略の中、大きく打ち出したのが、ノーネットロスよりもさらに踏み込んだネット・ポジティブ・インパクトであり「開発後は開発前よりも自然が豊かな状態にしなければならない」という概念でした。
その後、2009年に生物多様性と企業に関する会議(ジャカルタ憲章)で「ネット ポジティブ インパクト」の普及を目標とする提言が採択されました。これらがネイチャーポジティブの源流とも位置づけられる事象だと言えるでしょう。
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ネイチャーポジティブを考えるポイント
しかし「事業が発展するほど自然が豊かになる」ことを実現させる具体的な方法については、なかなかイメージが湧きにくいと考える方が多いと思います。
一般的に分かりやすく取り組みやすいのは、多くの企業が自然への対応として選んでいる「負荷の低減化」です。自然や生物の多くは「自ら再生し、拡大する力」を備えており、その再生力を超えない範囲まで影響を低減化することができれば自然は自ら回復傾向に向かうため、「負荷の低減化」もネイチャーポジティブに通じると言えます。
ただ、この手法では「どこまで影響を低減化すれば、どの生物がどのぐらい回復するのか」という定量的な効果測定や達成目標の設定が難しく、無理に測定してもコストが膨らむばかりで客観的な評価とはいえないものになりがちです。そのため企業の単なるパフォーマンスや「グリーンウォッシュ」に陥りかねないという側面もあります。また、既に自力では回復不能な状況まで追い詰められている絶滅危惧種の生息環境の復元のような課題には「負荷の低減化」だけでは対応できません。
それに対して「事業活動と自然のポジティブな相互関係の構築」に基づくネイチャーポジティブの手法は、よりダイレクトに取組みの効果測定ができるというメリットがあります。
負荷低減は、マイナスを小さくする発想になりますが、ネイチャーポジティブは、プラスを大きくする発想です。事業が発展するほど「富をもたらし財を成す」なら分かりやすいですね。では富をもたらし財を成すために不可欠な事業対象は何でしょうか。そう、「顧客」です。つまり、「自然」を「顧客」に位置づけてビジネスの在り方を考えればよいのです。
徹底した顧客本位でビジネスを大きく成功させている企業の例としてAmazonがあります。創業当時のAmazonは、Eコマースという相手の顔も見えず商品も手に取れない不確実性の中で利便性や購入機会、低価格戦略という「顧客体験価値」を多層的に打ち出し、「多数の顧客が訪問してくる条件」を見極め、その条件を集約化することで確実性を高めていきました。ネイチャーポジティブも「自然がより豊かになる条件」を見極め、その成立条件の再現性の中でビジネスモデルを構築するのです。
とは言え、そうした成立条件を見極めることは容易ではなく、事業活動と自然との接点が簡単に見つかるような業態も限られています。そこでポイントとなるのは、負荷低減の対策とネイチャーポジティブの取り組みを両輪で、理想的には一気通貫で考えてみることです。先述したようにネイチャーポジティブは想像がつきにくくても、自社が調達・製造・流通・消費のサプライチェーンを通じて自然に与えている負荷には思い至りやすいものです。負荷について多角的に捉え、「マイナスを小さくする」に留まらず「マイナスをプラスに転じる」まで思考を拡げると、ネイチャーポジティブが捉えやすくなるでしょう。
ネイチャーポジティブの取組み方法と事例
日本ではネイチャーポジティブの概念はまだ広がりはじめたばかりですので、ネイチャーポジティブ自体を目標に始められた事例は多くありません。しかしネイチャーポジティブの要素を含んでいる既存の取組み事例は少なくありませんので、その内容や手法についてご紹介します。
1.ビオファクトリー
まずは工場にて生物多様性の保全再生を行う「ビオファクトリー」について紹介します。工場周辺の生物多様性を保護する活動は以前から多くの企業が取り組みを進めてきています。しかし、従来よりも、さらに踏み込んだネイチャーポジティブの取り組みを「ビオファクトリー」と呼び、以下に解説していきます。
製造業の工場敷地が生物多様性の保全再生の理想的な舞台になり得ることは以前のコラムでも紹介していますが、工場の敷地を活用する場合のメリットは次の2つでした。
▼生物多様性保全・再生に工場敷地を活用するメリット
・閉鎖的な管理地であることから、侵略的な外来生物の進入や持ち込み等を排除した在来生物の生息地保全のステージとなり得る |
こうした特性から、地域の生物多様性と原風景を計画的に再生・保全することが可能にできるというものです。しかし、この手法は「工場の直接操業(とくに製造工程)と自然のポジティブな相互関係」とまでは言い切れないものでした。一方、ビオファクトリーの手法では、「工場の直接操業」と「絶滅危惧種の生息環境の再生」を、よりダイレクトに結びつけることを目指します。
絶滅の危機に追い込まれる生きものの現状
ビオファクトリーの取り組みについて一例を挙げるとすれば、地下水を利用した湧水生態系再現型のビオトープの創出があります。地下水資源が豊富な地域では、多くの工場が工業用水や公的水道よりも安価に水資源を調達できる自家水用の地下水ポンプを備えています。ところが、この地下水利用が多くの生きものたちを絶滅の危機に追い込んできた側面があります。
日本の水辺に暮らす絶滅危惧種の多くは、湧水環境に依存して暮らしています。これらの生物種の多くは氷河期の遺存種※1で、氷河期の寒冷な水温を生息条件としています。間氷期(温暖期)の現在は、平野部に残された湧水地帯の冷たい水の中でしか生きられません。かつて関東平野の湧水地に広く生息していたムサシトミヨという冷水性の淡水魚は、現在はただ一カ所、かつて養鱒場だった施設が動力ポンプで汲み上げている地下水の余剰水流が流れる市街地の小川でのみ生息しています。こうした氷河期の遺存種が姿を消していった主な原因が、川底などから自噴して豊富な冷水を提供していた湧水環境の消滅です。高度成長期以降、地下水を大量に使用する工場群の操業が、地下水脈から自噴する天然の湧水量を減少させ、湧水生態系の生きものたちを追い詰めていったことは否めません。
降水量が豊富な日本で操業する企業は、例えばCDPの水セキュリティ報告でもそれほど苦労はしてこなかったかと思います。世界的にも環境基準が厳しい国内の水関連法を順守していることさえ適確にアピールすれば、相応に高いスコア獲得も可能でした。しかし、地下水利用が多くの湧水生態系の生物種を危機に陥れてきた負の側面は、完全な盲点になっているのです。
大量に地下水を汲み上げて操業する工場は、それだけ周辺環境の湧水量を奪ってきたと言えます。でも、汲み上げた地下水を冷水状態のまま敷地内のビオトープに、それも従来の排水利用型の溜め池式ビオトープではなく、細い水路型のビオトープに流すなどしてから操業に利用すれば、そこは冷水性の動植物の生息環境となり、失われた湧水生態系の再生の場となります。考えようによっては地下水の汲み上げ量が多ければ多いほど(事業活動が発展すればするほど)、再生された湧水生態系は豊かになるのです。このような逆転の発想で「事業活動と自然のポジティブな相互関係」が構築可能になるわけです。
ビオファクトリーの取組事例
●旭化成株式会社 ビオトープを活用した淡水魚の保全
旭化成株式会社の滋賀県守山工場で操業に用いる汲み上げ地下水を利用したビオトープが挙げられます。ここではムサシトミヨと同じく冷水を好むトゲウオ類であるハリヨという絶滅危惧種の保全に取り組んでいます。このように従来の工場ビオトープとは異なり、直接操業そのものが自然再興につながるような取組み、即ち「ビオファクトリー」の創出は、今後の多くの製造業にとって重要な選択肢になると思います。
※1: 遺存種(太古に栄え、現在は限定的な生息条件のみに残存している生物種のこと)
2.リジェネラティブ農業(アグロフォレストリー)
ネイチャーポジティブの有力な手法として注目されているものとして、「リジェネラティブ農業」(環境再生型農業、再生型農業)があります。リジェネラティブ農業とは、農産物の生産を通じて生物多様性を再生していく取組みです。その中で、近年特に注目されているリジェネラティブ農業の手法が「アグロフォレストリー」です。これは農業(Agriculture)と林業(Forestry)を組み合わせた造語で、同じ区画内で複数の作物の果樹を植えたり農作物を栽培したり家畜を放牧したりする農法です。
ゴムやパーム、カカオにコーヒー、果物類など、主に熱帯地方からの農産物の多くは大規模な単一栽培方式のプランテーションで生産されています。農地造成のために多様な動植物や先住民が暮らす熱帯雨林が切り開かれたり、単一栽培による土壌の劣化(地力低下や土壌浸食)を招いたりするだけでなく、収穫期の繁忙集中による児童労働なども問題になっています。
これに対してアグロフォレストリーは、多数種の農産物(果樹や畑作物等)の組合せで豊かな生態系を生み出すことができるとされており、既に多くの地域で活用されています。
リジェネラティブ農業の取り組み事例
●株式会社明治:アグロフォレストリーでできたミルクチョコレート
明治は、ミルクチョコレートで使用するカカオと一緒に、森の生態系に伴ってバナナやコショウなどの苗を植え、先に高い木が成長をして日陰を作ることでカカオを育ちやすくしています。
▼(株)明治のアグロフォレストリーの取組
(出典:株式会社明治)
●横浜ゴム株式会社:アグロフォレストリーの農園から調達する天然ゴム
横浜ゴムは、天然ゴム農園でアグロフォレストリーの農法を取り入れることにより、ゴムの木が若く収穫をできない時期や、相場により天然ゴムの価格が大きく変動した際に天然ゴム農家の収入の安定化に寄与できるようにしています。また、他の植物を植えることによって、葉の落とすタイミングにより懸念される土の乾燥や病気を防ぐことにもつながっています。
▼ 左:単一栽培の天然ゴム農園 右:アグロフォレストリーの農園
(出典:横浜ゴム株式会社)
このように複合型の農林水産業(アグロフォレストリー)はネイチャーポジティブの手法として有効なのですが、従来型のプランテーションから原料調達をしている状態からアグロフォレストリーの導入を図る場合は、サプライヤーへのキャパシティビルディング(ノウハウとスキルの構築支援)が求められます。その際に必要になるのが、異業種の企業が連携した調達体制を構築して生産者を支援することです。パームを利用する洗剤メーカーやゴムを利用するタイヤメーカー、カカオ等を利用する菓子メーカー、生鮮果物類を利用する流通業等が連携し、生産者に技術導入とマーケティングのサポートをしなければ、プランテーションをアグロフォレストリーに転換することはできません。多種多様な産物を生産するアグロフォレストリーの普及拡大には、多種多様な業態の企業連携が不可欠になるのです。
企業の事業活動と自然との接点について
ここまで挙げてきた原料調達に伴うリジェネラティブ農業やビオファクトリー以外でも、事業活動と自然の接点には様々なものがあります。
例えば、自然改変を伴う事業活動おいても「改変される側の自然」との接点があります。従来は開発により改変される自然を別の場所で代償する「オフセット」という手法が行われてきましたが、TNFDをはじめとするグローバルイニシアティブのスタンスは原則として「開発地域以外での代償をネイチャーポジティブには含めない」という方針を掲げています。
ここまでいくつかの業態におけるネイチャーポジティブの事例を紹介してきました。しかし原料調達でも工場敷地でも自然との接点が見えにくく、自然を改変する開発事業の予定もなく「事業活動と自然との接点」を見出すことに苦労されている企業も多いかと思います。先述したように、自社だけでなくサプライチェーン全体で及ぼしている影響に目を向けるや、調達しているエネルギーや、社員食堂や社内生協がある場合は、その食材(とくに主食としての米や小麦)といった接点もあります。
エネルギーや食料に紐づくネイチャーポジティブへのアプローチについては、また別の機会に解説させて頂きたいと思います。
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企業活動が生物多様性におよぼす影響の把握やリスク分析には高度な専門性と多くの時間が必要であり、具体的な進め方に悩む企業が多いのが現状です。
アミタは「循環」に根差した統合的なアプローチで企業価値の向上&持続可能な経営を実現に貢献する、本質的なネイチャーポジティブ/生物多様性戦略の立案・実施をご支援します。
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執筆、編集
本多 清(ほんだ きよし)
アミタ株式会社 サーキュラーデザイングループ
持続可能経済研究所
環境ジャーナリスト(ペンネーム/多田実)を経て現職。自然再生事業、農林水産業の持続的展開、野生動物の保全等を専門とする。外来生物法の施行検討作業への参画や、CSR活動支援、生物多様性保全型農業、稀少生物の保全に関する調査・技術支援・コンサルティング等の実績を持つ。著書に『境界線上の動物たち』(小学館)、『魔法じゃないよ、アサザだよ』(合同出版)、『四万十川・歩いて下る』(築地書館)など。
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