コラム
望ましい「生物多様性オフセット」のあり方とは?
~生物多様性とSDGs④~本多清のいまさら聞けない、「企業と生物多様性」
企業が開発や事業の展開などに伴って環境に負荷を与える場合に実施すべきとされる代償措置「生物多様性オフセット」のあり方について解説します。「生物多様性とSDGs」をテーマにした解説コラム第4弾です。
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※この記事は2018年に執筆した記事を加筆、修正しています。
目次 |
日本では成立しにくい欧米式の生物多様性 オフセット
前回の本コラムの冒頭では「生物多様性(の価値)を測れると思うな!」と申し上げました。「一つとして同じものはなく、同じことは二度と繰り返されない」生物多様性の世界は、少なくとも全世界で等しく同質の物質であるCO2排出量と同じように効果や価値を測ることはできないからです。
「でも、海外では生物多様性の価値を測って証券みたいに取引するビジネスもあるよね。」と思った方、はい、その通りです。生物多様性オフセット による利用権取引(ミティゲーション・バンキング)ですね。生物多様性の価値を測り、CO2排出量取引のようにクレジット化して売買するビジネスです。しかし日本ではまったくと言ってよいほど浸透していません。日本は遅れているから? いいえ、違います。日本ではそれが正しいのです。なぜかというと、欧米社会と日本社会では自然の成り立ちも、そこに暮らす人々の世界観も全く違うからです。
一神教で小麦粉が主食物の欧米では「人間(と神)の領域」と「自然の領域」の境界線は明確です。せいぜいヒバリや野ネズミが暮らす程度の小麦畑も「人間界」です。ところが一方の日本は米が主食の「瑞穂(みずほ)の国」です。水田が育む生きものたちの生息数と多様性は、欧米の乾いた陸地の小麦畑の比ではありません。2000年以上もの長きにわたり、里山と田園からなる「郷(さと)」を生活の舞台としてきた日本では「人間の領域」と「自然の領域」の境界線は極めて曖昧で両者がグラデーションの中で混在しています。そのような混沌とした領域を"八百万(やおよろず)の神々"が司っている、という世界観が育まれてきたのです【図-1】。
【図-1】日本で欧米式の生物多様性オフセットが浸透しない理由
(アミタ持続可能経済研究所作成)
このような国では「一方の領域を切り取って他方の領域にはめ込む」といった欧米式の生物多様性オフセットや利用権取引を成立させることは困難でしょう。これまでにも繰り返し述べてきたように、「人の営みが、同時に生きものたちの暮らしをも豊かにしてきた」という歴史的背景こそが、日本の生物多様性の根源だからです。ですから日本でのオフセットには欧米とは異なるアプローチ方法が必要となるのです。
日本で行うべき生物多様性 オフセットの手法とは
このような背景と特色をもつ我が国の場合、どのようにして生物多様性のオフセットをするべきなのでしょうか。まず前提として、純然たる自然界(原生的自然)を企業が乱開発するという状況は、現代の日本では起こりえません。現代の日本で自然環境の多くが劣化している主な原因は、企業による乱開発ではなく、地域社会の低迷、即ち「人の営みの衰退」による荒廃なのです。
そこへ欧米型のオフセットが導入されたらどうなるでしょうか。もし、開発の代償として「人が手を付けない自然の領域」を作ろうものなら「人の営み」によって成り立ってきたその地域の生物多様性は、ますます劣化してしまうことでしょう。それはまさに「逆効果」なのです。
このような場合、企業は「人の営みの活性化を目指すこと」が正しい選択肢となります。企業が地域に参入し、環境に配慮した持続可能な経済活動を新たに展開すれば、低迷していた地域社会が共生の舞台の「郷(さと)」として再活性化する道が開けます。こうした「人の営みの活性化と共に生物多様の向上(復元)を導く」という生物多様性のオフセットの手法は、日本の環境条件において極めて理に適ったものなのです【図-2】。
【図-2】日本で取り組むべき生物多様性オフセットのイメージ
(アミタ持続可能経済研究所作成)
このような日本型の生物多様性オフセットの手法を取り入れた企業の活動事例としては、トヨタ自動車株式会社の新研究開発施設(テストコース)が挙げられるでしょう。同社はサシバやミゾゴイといった希少鳥類が生息する里山地域で、未来型の自動車を研究開発するための大規模なテストコースを造成するに当たり、まず環境を改変する地区の面積を当初計画の約66%まで圧縮し、橋梁やトンネルで自然環境への影響を低減化しました。そして影響を避けられない改変地区の代償として、荒廃しつつあった里山の保全や有機農業の推進策をとり、生物の生息環境の質的な向上を目指しているのです。【図-3】【図-4】
写真:トヨタ自動車株式会社のテストコースの予定地内で行われた無農薬・無化学肥料の水田栽培の実証試験地。最先端の有機稲作技術が地域の農家に提供された(2010年)。
【図-3】事例紹介:里山地域における大規模開発事業に関連して1(アミタ持続可能経済研究所作成)
【図-4】事例紹介:里山地域における大規模開発事業に関連して2(アミタ作成)
このように、企業が里山や田園の地域社会にコミットし、農林水産業の営みや地域社会のあり方と共に生物多様性の向上を目指す手法こそが、我が国における生物多様性オフセットの望ましい姿と言えるでしょう。
足元の取組みから「未来への生物多様性 オフセット」を
自社工場等が所在・進出する地域社会への対応としては、上記で紹介したような大規模開発における事例が参考になる企業もあれば「新たに大規模な開発を行う計画などない」という企業も多いでしょう。しかし、いまの自社工場や事業所が立地している場所は、かつて大規模な開発による環境改変を行った結果の産物ではないでしょうか。臨海コンビナート地帯などはその典型的な存在でしょう。高度経済成長期には顧みられることのなかった「豊かな生物多様性の舞台」が、かつてその場所にあったはずです。
その大規模開発から半世紀が経ったいま、多くのコンビナートでは事業敷地内の未利用地の活用が課題となっています。工場立地法で一定以上の面積の確保が定められた緑地も、管理が行き届かずに荒廃しているケースが少なくありません。ところが、そのような未利用地や工場緑地に、地域の貴重な宝物(=希少な生物など)がひっそりと生き延びて暮らしているというのは「意外とよくあること」なのです。そればかりではありません。地域社会の生物多様性を守り育み、未来へ受け継ぐうえで、現代においては工場敷地ほど理想的な条件を備えた環境はないのです。その最も大きな理由が「外来生物への対応(除去・根絶した状態での維持管理)が可能な、ほぼ唯一の環境」であることです。では、その実践方法を具体的に説明しましょう。
工場敷地が「ふるさとの原風景」を受け継ぐ「約束の地」に
現在、一般の人々が生活圏の環境で目にする自然は、そのほとんどが外来生物に圧倒されています。草地はセイタカアワダチソウなどの外来植物で埋まり、湖や野池で釣れるのはブラックバスなどの外来魚ばかりです。秋の虫の声ですら、外来昆虫のアオマツムシの声が席巻しています。人の手で持ち込まれた外来生物の問題は、この50年間で急激に進み、かつ「外来生物の持ち込みを防ぐ他に有効な対策が取りにくい」という点で「最も深刻な生物多様性の危機」なのです。
たとえば、臨海コンビナート地帯が開発される前の「ふるさとの原風景」の中で遊んだ少年たちは、今は孫をもつ高齢者となっているでしょう。ところが、自分が少年だった時代の原風景はどこにも残っていません。かつての少年たちが遊んだ「ふるさとの原風景の記憶」を次世代の子供たちに受け継ぐことができる舞台が、すっかり失われてしまっているのです。これは「地域社会における生物多様性の消滅」を意味します。 しかし、部外者の立ち入りが制限されている工場や事業所の敷地内であれば、こうした「地域の原風景」を計画的に復活させることが可能です。広大な未利用地や緩衝緑地帯が、その舞台となります。従業員やその家族の福利厚生を兼ねた体験型農場として、小規模でも水田を再生することができれば理想的です。そのような舞台で外来生物を計画的に除去・根絶し、地域由来の遺伝子をもつ在来生物を保全することで、企業の工場敷地が「未来への記憶を受け継ぐ約束の地」となるのです。従業員や退職したOB、そして地域の教育機関と児童などが連携し、外来生物の防除と在来生物の保全管理プログラムを運営すれば、それは「未来への生物多様性オフセット」となります。
写真:
水辺の外来生物の持ち込みを禁じたレジャー施設の普及啓発看板
また、工場の排水を利用した水辺環境を作ることは、一方では排水基準を安定的にクリアするための効果的な対策にもなりえます。たとえば現状で排水中のBOD値やCOD値が基準値ぎりぎりの場合でも、植生帯のある水辺を創出し、そこに排水を通すことで富栄養物質を浄化することができます。さらに、排水基準のなかでもとりわけ厄介視されている水質のpH調整も、水中の生物(魚介類や好気性バクテリアなど)の活動を利用して安定化させることが可能なのです。そのような環境を構築する中で地域由来の動植物を導入・保全すれば「地域の生物多様性に支えられた事業所」を育むことになります。それは地域社会における企業のCSV(共有価値の創造)としても至高の姿となるでしょう。そしてそれは、その事業所で製造される工業製品の「品質」を担うストーリーにもなるのです。
「生物多様性」や「持続可能性」という言葉や概念が存在しなかった時代になされた大規模開発のうえに存在する工場敷地やコンビナート地帯。その地を「SDGs(持続可能な開発目標)の舞台」にすること、即ち「持続可能な再開発目標」の構築と実践こそが、先達から受け継いだ事業所を担う企業の使命とも言えるでしょう。
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執筆者プロフィール(執筆時点)
本多 清(ほんだ きよし)
アミタホールディングス株式会社
経営戦略グループ
環境ジャーナリスト(ペンネーム/多田実)を経て現職。自然再生事業、農林水産業の持続的展開、野生動物の保全等を専門とする。外来生物法の施行検討作業への参画や、CSR活動支援、生物多様性保全型農業、稀少生物の保全に関する調査・技術支援・コンサルティング等の実績を持つ。著書に『境界線上の動物たち』(小学館)、『魔法じゃないよ、アサザだよ』(合同出版)、『四万十川・歩いて下る』(築地書館)など。
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