コラム
南三陸町長取材【前編】|「瓦礫だらけの惨状」から「エコタウンへの挑戦」 リレーコラム
2011年3月11日に起きた東日本大震災で甚大な被害を受けた南三陸町。同町は、まちの将来像として「森 里 海 ひと いのちめぐるまち 南三陸」をかかげており、それを具現化する方針の1つとして、2014年に農水省からバイオマス産業都市として選定されています。今回は、震災当時から南三陸町長を務める佐藤仁町長に震災当時からの経緯と今後の街づくりについて、お話をうかがいました。
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※(本記事は2017年12月8日に発行した電子書籍「バケツ一杯からの革命」からの抜粋記事です。)
「瓦礫だらけの惨状」から「エコタウンへの挑戦」
佐藤氏:「そもそも、町の震災復興計画を策定した時に、様々な復興目標と主要事業を掲げたんですよ。その中に『エコタウン(※1)への挑戦』というのがあったんです。はじめは、『この瓦礫だらけの惨状の中で、なに言ってんの?』という思いが正直ありましたね。」
町長の佐藤仁氏は、震災後に自ら立ち上げた復興企画課の担当職員らが上げてきた計画案にあった「エコタウンへの挑戦」という文言に、当初は現実離れしているかのような違和感を禁じ得なかったという。じつは計画案をとりまとめた当時の担当課長自身にも、当初はエコタウンに向けての具体的な事業計画のイメージは何もなかったそうだ。しかし「森・里・海に囲まれた豊かな自然こそが、未来に向けての南三陸の財産」という想いだけは胸にあった。
佐藤氏:「で、具体的に何をやるんだっていう話を掘り下げたときに、まずは地域由来のエネルギー活用ということで、間伐材を利用した木質バイオマスのペレットストーブの普及実験計画があがってきたんです。そこで初めて、あ、『エコタウンへの挑戦』って、あの震災で電気も燃料もなく、寒さで人が亡くなっていった経験から、我々の教訓として得たものは自立エネルギーの課題対策だよね、じゃあそれをやっていきましょうよ、という流れになっていったんですね。」
最初に手掛けられたのは、人命に関わる暖房のエネルギー自給に向けたペレットストーブの普及試験と小規模な木質ペレット生産工場の運用試験だった。ペレットストーブは町内のモニター協力者に無償で貸し出され、まずまずの好評を得てひと冬の試験期間終了後も希望者には優遇条件で払い下げられた。一方の小規模ペレット工場は試験運用中に機械のトラブルで閉鎖してしまうといった紆余曲折があったが、新しく建てる公立の「南三陸病院」や役場の新庁舎に木質ペレット燃料型のボイラーを設備する方針も決まった。
しかし域内でのペレット生産計画は大きな壁に突き当たった。肝心の燃料のペレットを自給する工場の建設は、事業性の見通しが立たないことから当面の間は計画保留となってしまったのである。採算性の最低ラインである年間1000トンの域内需要の半分程度しか確保できなかったからだ。
それでも病院や役場に木質ペレットボイラーを導入する計画は頓挫することなく進められた。将来、需要が拡大すればペレット工場を建てる見通しもつくし、それまでは国産の燃料を町外から仕入れることができる。少なくとも海外からの化石燃料に頼らざるを得ない暖房設備で人命を預かる病院や町の拠点を運営することはしないという、不退転の決意からの判断だった。
ペレットの域内生産を目指した工場の建設見送りによって、盛り上がりかけた「エコタウンへの挑戦」は出端をくじかれた形になってしまった。一方のバイオガスプラントを核とする資源循環事業の検討も、生ごみ分別の実証実験が行われた後は停滞気味であった。導入を巡って役場庁舎内でも意見が分かれるうえに、多忙を極める復興関連事業への対応の中では、バイオガス事業を積極的に推進する機運も生まれにくかった。「エコタウンへの挑戦」は、しばらく足踏み状態となった。
(※1) 南三陸町が当初の復興計画で掲げた「エコタウンへの挑戦」とは環境に配慮した町を目指す一般的な概念であって、平成9年に創設された「エコタウン事業」制度( 環境省・経産省)との直接的な関連はありません。
下水道インフラの対策案の中から、バイオガス事業の構想が急浮上
ところが、津波で壊滅した下水道インフラの対策案の中から、バイオガス事業の構想が急浮上してきたのである。佐藤町長が当時の様子を語った。
佐藤氏:「ペレット工場の建設計画が保留になって、さてエコタウンをどうしようかって話になったときにちょうど持ち上がってきたのが、津波で壊滅した地域の公共下水道をどうするかという課題でした。被災者の住居は高台に分散移転することが決まっていたから、そこへ新たに下水道を作るとポンプアップやら何やらで初期費用も維持管理費も莫大になって、町が財政破綻してしまうわけです。」
そこで移転後の住居地の汚水処理は下水道ではなく、合併浄化槽で対応するということになった。ただ、個々の家庭で汚水や雑排水を処理する合併浄化槽は、下水道の整備は必要ないものの、定期的に汚泥を抜き取って最終的な処理をする施設が必要だ。町内には従来からの合併浄化槽汚泥を処理する施設が山の中腹にあり、震災後も機能を保持していた。しかし高台移転に伴って新たに発生する合併浄化槽の汚泥を受け入れると、一次処理後の脱水処理や乾燥処理で多大な運用費増加が避けられない。汚泥処理施設で一次処理された後の余剰汚泥は、化学薬品を添加して脱水処理した後、大量の化石燃料の熱エネルギーで乾燥処理するというものだ。それは「エコタウンへの挑戦」という目標にもそぐわない手法だった。
佐藤氏:「当然、浄化槽から抜き取った汚泥の処理はどうするの、ということになるわけですが、そこからバイオガスプラントで生ごみと一緒に処理するのがいいというプランが出てきたんですね。これも巡りあわせといますか、津波で壊滅した市街地の下水道の排水を処理する浄化センターが丘の上に残されていました。これを有効活用すれば、初期投資費用も大幅に抑えられることになります。」
市街地の下水処理を担っていた浄化センターは、丘の上で無傷ながらも用途は完全に失われていた。浄化槽の汚泥処理施設で一次処理した後の余剰汚泥を脱水・乾燥せず、そのままバイオガスプラントに入れて分解処理した後に液肥に活用すれば、多くの課題が一気に解決する。南三陸町がバイオガスプラントの事業主体者となる候補を民間から企画公募した際、この下水浄化センターの既存タンクを改修して液肥タンクに再利用する計画をアミタが提案した。結果的にこの提案が採用される形となったのである。(つづく)
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プロフィール
佐藤 仁(さとう じん)氏
南三陸町 町長
1951年生まれ。1970年に宮城県仙台市立仙台商業高等学校卒業。1992年に旧志津川町議会議員に当選。3期目途中の2002年の志津川町長選で初当選。旧歌津町との合併に伴う2005年の南三陸町長選に当選し、初代町長に就任。2017年の町長選で新人を破り、4選を果たした。
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