コラム
いまさら聞けない「企業と生物多様性」(その3)-生物多様性の可視化について本多清のいまさら聞けない、「企業と生物多様性」
生物多様性の取り組みで悩ましいこととして、CO2削減と違って数値化された基準がないため、成果をどう可視化したらいいのか判らない、という声をよくお聞きします。
しかし、これこそが生物多様性の本質を捉えた「正しい悩み方」であるともいえるのです。
生物多様性は「規格化・数値化」できるのか
企業が生物多様性に取り組むにあたり「何をすれば評価されるのか、明確な規準がほしい」という要望をよくお聞きします。CO2削減の取り組みと同じく、せっかく取り組むのであれば、しかるべき機関によって規格化された基準に沿い、誰からも「ちゃんとやっているんだな」と認めてもらえる「お墨付き」がほしいと考えるのも当然でしょう。しかし、生物多様性への取り組み効果を規格化、あるいは数値化しようとする議論はこれまでに専門家の間で何度となく繰り返されながらも、結局は「完全な規格化・数値化は実現不可能であるし、望ましくもない」という結論に至っています。なぜでしょうか。
前回のコラムでもふれましたが、たとえば森林と砂漠では生きものの顔ぶれも、その種類の数も、生息している量も全く違います。すべてにおいて「森林>砂漠」となります。しかし「砂漠の生物多様性は森林に比べて劣っているから、砂漠は森林を目指すべきだ」という議論にはなりえませんし、そのような目標を掲げるべきでもありません。砂漠には砂漠の、森林には森林の環境に適した生態系があり、そこで進化してきた生きものたちが環境条件と折り合いをつけながら暮らしているからです。
「砂漠」というと多くの日本人は「不毛」といったネガティブなイメージを持ちがちですが、人為的影響による砂漠化のような例外を除いては、砂漠も大切な「大自然」です。例えば、ウチワサボテンやサバクツノトカゲといった砂漠に適応した生物たちは森林では生きていけません。砂漠は砂漠で、長い歴史を経て、代替不能の生態系を育んでおり、今もなお、刻々と変化する状況の中で絶えず変化しているのです。
以上は話を判りやすくするために極端な環境の差異を例に出したものですが、同じようなことは日本国内でも、同じ県内でも、さらには隣どうしの川や田んぼでも起こりうるのです。例えば、A川とB川に住む生きものを調べたところ、その種類も量もA川のほうが多かったとします。ではB川はA川に比べて「劣っている」かとういうと、必ずしもそうではありません。両方の川の地球史的な長い時間背景の中で、それぞれの生態系が育まれてきた結果であるのならば、例えB川で暮らす生きものの種類がA川の10分の1であったとしても、劣っているわけではないのです。B川が、その少ない種類の顔ぶれの中で独自の生態系を成立させてきたことが大切なのです。
このように、生物多様性を論ずる場合、地球レベルから隣の田んぼレベルまで、対象に応じた読み解き方が必要となります。生きものや環境のつながり、さらには歴史的な背景や人間による影響までを含む「複雑な曼荼羅絵図」を、数値や規格によって一元化して表現することは難しい、ということは皆様にも想像いただけるのではないでしょうか? 簡易な基準で評価できる「万能のものさし」を求めることで、むしろ、生物多様性というキーワードが問いかけている「人と自然のつながりを読み解いて持続可能な社会をつくっていこう」という本来の目標からは遠ざかってしまう側面すらあると思います。
さらに、生物多様性を「単純なものさし」によって一見わかりやすくしようとすることで起こりがちな、とても恐ろしいことがあります。それは「善意の誤解」による生物多様性の破壊です。いちばんありがちなのは「隣の村の田んぼにはメダカが(ホタルが、タガメが)いるのに、うちの村にはいない。じゃあ隣村で捕まえてきて放してやろう」といった「善意」による生態系の多様性の破壊です。
さらに「昔はメダカやホタルがたくさんいたのに、最近はずいぶん減ってしまった。じゃあ、養殖業者からたくさんのメダカやホタルを買ってきて放してやろう」といった「善意」の行動も、取り返しのつかない破壊(「遺伝子の多様性」の喪失)を招いてしまいます。
「貴重な生きものがいる田んぼの米は付加価値がついて高く売れるらしい。じゃあデパートでタガメやゲンゴロウを買ってきて放し、地域の活性化につなげよう」という「善意」も当然アウトです。生物多様性の価値や効果の規格化を求める以前に、きちんとした認識や理解の共有がないと、ろくなことになりません。冒頭に「正しい悩み方」と述べましたが、「よくわからない」と悩みつつ、本質的な取り組みを模索することこそが、一番重要なことではないかと思います。
可視化するべきは数値ではなく「プロセス」です
生物多様性の課題の多くは、人による開発や公害、乱獲、外来生物の移入等の負の影響を受けた結果や、逆に人の営みが与えていた正の影響が失われた結果、環境が劣化してしまったり、生きものの顔ぶれや生息数が少なくなってしまったりしているわけです。その課題解決のためには、遺伝子の多様性を破壊しない方法で(その地域にもともと暮らしていた生物の子孫が増える方法で)、かつそれらの生きものが未来に向けて継続的に暮らし続けられるための環境を保全したり、再生していくことが求められます。では、それらの取り組みはどのように可視化していくのが望ましいのでしょうか?その答えは「プロセスの可視化」です。
これまで述べたように「他者の権威により標準化や規格化された数値を目指す」という手法は肯定できませんが、正しい認識や理解のもとに「うちの会社は生物多様性を守るためにこういうことをしよう」という基準を自主的に設けて目標とするのはどんどんやるべきです。その際に可視化するべきものは数値ではありません。生物多様性の向上を目指してビジネスのあり方を改善したり、社会貢献で取り組む活動を展開する「プロセス」こそ、可視化するべきものなのです。
プロセスとは即ち「ものがたり」です。生物多様性を守り、豊かに育むための方法を正しく理解し、その取り組みの物語をどんどん発信していくことです。自信がなければ専門家に相談して方針や手法が誤っていないかのチェックを受けるべきでしょう。社会や市場は、そのプロセスから生まれる物語によって企業の取り組みを評価します。
「そうはいっても、やはり数値化された成果があったほうが評価を受けやすいんじゃないの?」と思われるかもしれません。そのことじたいは否定できません。取り組みのプロセスを経た結果、得られた成果を事前と事後で定量的に比較調査すれば「効果」も数値化することができます。もし、財政的な余裕があって基礎調査に割く予算が潤沢にある企業であれば、ぜひそうするべきでしょう。
でも、手間とコストをかけて効果を定量的に数値化しても、それに見合った社会からの(即ち、市場からの)評価が得られるわけではないことは念頭に入れておいてください。
市場からの評価を効果的に引き出すには、数字による説得力はサブでしかありません。メインとなるのはプロセスを効果的に可視化することで得られる「物語への共感」です。市場からの共感を得てこその「企業の生物多様性戦略」です。ぜひ、豊かな物語を社会に発信し、生物多様性における「市場の勝者」を目指してほしいものです。次回は、物語の発信の具体的な手法と効果について、ご紹介させていただこうと思います。
※本コラムを執筆した本多主任研究員が生物多様性とビジネスチャンスについて寄稿した一般社団法人建設コンサルタンツ協会誌記事「生物多様性がひらく世界」も、ぜひご一読ください。 http://www.jcca.or.jp/kaishi/249/249_toku8.pdf
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執筆者プロフィール
本多 清 (ほんだ きよし)
株式会社アミタ持続可能経済研究所
主任研究員
環境ジャーナリスト(ペンネーム/多田実)を経て現職。自然再生事業、農林水産業の持続的展開、野生動物の保全等を専門とする。外来生物法の施行検討作業への参画や、CSR活動支援、生物多様性保全型農業、稀少生物の保全に関する調査・技術支援・コンサルティング等の実績を持つ。著書に『境界線上の動物たち』(小学館)
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