コラム
ドイツのレッテンバッハ村|「天国のような村」と呼ばれた村サステイナブル コミュニティ デザイン ~2030年に向けた行政・企業・住民の連携~
人類は気候変動・資源枯渇・人口増加という未体験の環境下に向かっています。また、日本は、少子高齢化・労働人口減少・税収減少などで、今のしくみでは社会インフラの提供が難しい状況を迎えつつあります。そのような中で、持続可能な社会・コミュニティ デザインを行政・企業・住民の連携でどのように作っていくのかは、非常に重要なテーマです。
そこで本コラムでは、NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)理事長の泊みゆき氏に、サステイナブル コミュニティ デザインについて、参考事例などを交えて連載していただきます。第三回は「天国のような村」と呼ばれたドイツのレッテンバッハ村についてです。
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合併によるどん底からの再出発
ドイツでも農村の衰退は著しいです。そのような中、ドイツ南部、ミュンヘンから南西70km、オーストリア国境ぞいにあるレッテンバッハ村は「天国のような村」と呼ばれています。自然エネルギーで経済を循環させ、雇用をつくり、さまざまなクラブで住民たちは楽しみ、そんな村で暮らしたいと若い家族が続々と移住してきています。どうやってこうしたよい循環をつくり出すことができたのでしょうか?
レッテンバッハ村も一度はどん底に落ちてからの出発でした。ドイツでは1970年代に4,500の村が合併により2,000に縮小し、レッテンバッハ村も近隣の村と合併しました。しかし、その後16年間で状況は悪化。学校は合併し、ガソリンスタンドはなくなり、スーパーマーケットも閉鎖され、人口は合併時の700人から580人にまで減りました。
村民であるフィッシャーさんは「これでは暮らせない、自分もこの村を出よう」と考えましたが、父親に「500年の歴史のあるわが家を捨てるのか」と反対され、思い留まりました。そこでまずは政治から変えようと村会議員になりましたが、合併した隣村が多数派で、フィッシャーさんたちの主張はほとんど通りませんでした。
この状況を打破するために、村の若手たちは合併を解消し独立しようと考え、中央政府に働きかけて1993年、独立を勝ち取りました。本業は農家であるフィッシャーさんは、ボランティアで村長を務めながら、仲間たちと独立した村がこれからどうするかを考えました。
エネルギーの地産地消から経済の循環を生み出す
財源も少なかったため、少しでも支出を減らし自分達でできることは自分達でやるしかない状態でした。まず、エネルギーの外部依存を減らすために、農家や工場、一般住宅の屋根に太陽光パネルを4,500kW設置しました。ちょうどバイエルン州で導入された売電制度を利用したので、設置者に経済的なメリットがありました。隣家が儲けているなら自分も設置しようと取り組みが村内に広がりました。
村内のバイオガス施設では、使われなくなった牧草を利用して、熱と電気を生み出すコジェネレーションが行われています。村が発行する地域通貨で村の農家から薪を購入し、公共施設に設置した薪ボイラーがきっかけで村内に薪ボイラーの利用が広がりました。村人たちの3/4が石油暖房を薪暖房に転換し、石油に使われていた6,000万円相当が薪を売る農家に渡り、地域で循環しています。チップ製造やボイラーリースの事業を行う若い農家たちも出てきました。
自分達が必要なものは自分達で作る
レッテンバッハ村にはいくつかの優良企業があります。その一人、クーゲルマンさんは、村で重機販売をしていましたが、除雪機など村で使うのに向いた機械があまりないと不満をもっていました。フィッシャー村長(当時)の勧めもあって、彼は独立して自分の会社をもつことにしました。村民のニーズに合った機械を開発し、15年で80名を雇用する企業になりました。村内には農業用ウィンチをつくる会社もあり、130人が働いています。部品も自分たちでつくり、林業機械にも手を広げています。その他にも必要と思うものを提供するという発想で独立した人たちがいて、これらの優良企業から村に税金が入って、様々なプロジェクトに使うことができるようになりました。
村は設備投資の際に補助金をあまり利用しませんでした。フィッシャー村長(当時)は、補助金をもらうための条件を守ると、必要以上の設備になったり、思うように変更できなくなったりするため、実際には自分たちで作った方が安くなると言います。もう1つのポイントは、何を作るにしても利用者である村民のニーズをきちんと組み込んで作るため、作った後活用されるということです。例えば、子どもたちの遊び場は、子どもたちと一緒に作ります。そうすると大切に使うし、子どもたちも自分たちの意見を聞いてくれるので、この村が大好きになってやがて村に帰ってくる要因になります。
村の中心には、村人たちが建てた素敵なデザインの木造の建物があります。1階が村営スーパーマーケットとカフェ、2階がイベントホール、地下が木質バイオマス地域熱供給センターになっています。村営スーパーでは食品など、できるだけ地場のものを扱っています。カフェは、高齢者らの交流の場にもなっています。農家の奥さんがケーキをつくってここで売ったりもします。イベントホールでは、結婚披露宴やコンサートが開かれます。これらは利用者の意見を反映させて作ったものなのです。
「楽しさ」と「尊重」が生み出す「天国のような村」
現在村には様々なクラブがあります。合唱団に村の人口の1割の70人、ブラスバンドに90人、その他ガーデニングのクラブやスポーツのクラブもあります。若い家族が引っ越してくると、さまざまなクラブで歓迎します。オールドカーを集めるクラブもあり、新しい大小のトラクターが競争するイベントには、数千人が集まります。
レッテンバッハ村のよさは「楽しさ」と「尊重」にあるのではないでしょうか。オールドカーが好きなおじさんたちが、自分たちで展示ホールをつくり、イベントを開催し、お祭りにしてビールを飲みます。仕事はするが、それだけが人生でも生活でもない。豊かな自然のなかで、大人も子どももそれぞれを尊重し、自分たちが好きなことをして楽しむ。それに惹かれて若い家族が引っ越してきて、経済が循環し、また新たな施設やインフラができ、さらに人を呼び込む。不自由さを感じたら、どうすれば改善できるかを考え、ビジネスにする。批判するだけでなく自分で動く、動いている人を応援する。
そしてそのきっかけを作ったフィッシャー元村長という火付け役が、村人たちを経営者にし、多数の雇用を生む企業に育てたというところもあるでしょう。人は、誰かに「やってみれば?」とひとこと言われたことをきっかけに、大きく動き始めることもあります(私が処女作『アマゾンの畑で採れるメルセデス・ベンツ』を書いたのも「それ、いいね」という知人の一言からでした!)。
「世界で一番幸せな村」は「なければ自分たちでつくろう」をモットーに、よい循環をつくることができたのが秘訣だったのかもしれません。
参考・引用資料
参考資料「ドイツで一番幸せな村の村長 日本縦断講演記録集」
執筆者プロフィール(執筆時点)
泊 みゆき(とまり みゆき)氏
NPO法人 バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)理事長
京都府京丹後市出身。大手シンクタンクで10年以上、環境問題、社会問題についてのリサーチに携わる。2001年退職。1999年、BINを設立、共同代表に就任。2004年、NPO法人取得にともない、理事長に就任。
NPO法人 バイオマス産業社会ネットワーク:http://www.npobin.net/
■主な著書・共著
『アマゾンの畑で採れるメルセデス・ベンツ [環境ビジネス+社会開発]最前線』(築地書館)
『バイオマス産業社会 「生物資源(バイオマス)」利用の基礎知識』(築地書館)
『バイオマス本当の話 持続可能な社会に向けて』(築地書館)
『地域の力で自然エネルギー!』(岩波ブックレット、共著)
『草と木のバイオマス』(朝日新聞社、共著)
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